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幕末・維新に活躍した志士たちや幕閣たちの面白エピソードの紹介
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takechi.jpg武市瑞山(たけち ずいざん)は、日本の武士・土佐藩郷士(白札)。

土佐勤王党の盟主。通称は半平太であり、武市半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。

幼名は鹿衛、諱は小楯(こたて)。号は瑞山または茗澗。変名は柳川左門。後に柳川左門と変名した際は、吹山を雅号とした。

父は土佐藩郷士の武市正恒、母は大井氏の娘。半平太はその長男。妻は土佐藩郷士島村氏の娘の富子。子女はなし。

坂本龍馬とは遠縁にあたる。

優れた剣術家であったが、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。

参政吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。

京都と江戸での国事斡旋によって一時は藩論を主導するが、八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主山内容堂によって投獄される。

1年半の獄中闘争を経て切腹させられ、土佐勤王党は壊滅した。

<ウィキペディアより>

武市半平太伝―月と影と
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大森南朋 さもあらばあれ
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